岡田と申します

2024.09.26

この映画の一番重要なネタバレを書いてます。

石井岳龍の新作。もともと90年代くらいに製作を計画していて実際にクランクイン直前までいったが、直前になって製作中止が決定し長らく撮られてこなかった。

しかし2024年、ついに止まった時が再び動き始めた。

箱男。という謎の男がいる。箱男は、洗濯機くらいの大きさの段ボール箱を被っていて、覗き窓から町の人達を見ている。何をするでもなく、ただ見続けている。箱男の正体は誰にも分からない。むしろ箱男を知ろうとすれば、自らも箱男になってしまうという。しかし、箱男とは人が望む究極のカタチなのだという。

箱男のシュールな造形、渋川清彦が演じる謎の敵とのバトルや、箱男どうしのバトルは笑ってしまう。この映画は基本的にギャグなんだと思った。前作の『自分革命映画闘争』のトークショーで、帰り際に石井岳龍が「この映画はコメディなんで、笑ってください」と言っていたけど、『箱男』も石井岳龍なりのコメディ映画なんだと腑に落ちた。ただへらへらとふざけるんじゃなくて、真剣におかしいことをしている。その真剣さが面白い。

俺らの時代はまだ終わっていない!みたいな事を叫んでいるような気がした。臓物のように映す女の裸。今の世代の監督で、あんなに簡単に女を脱がすことも、その女の裸を殆ど死体のように撮る人っているんだろうか。でもそう叫ぶ石井岳龍がかっこいいと思う。まさしくあの時代を生きてきた人にしか出来ないことをしている。

今の時代の映画に迎合なんかしないで、撮りたいものを撮り続ける石井岳龍がかっこいい。

映画を観る人(観客)、観られるモノ(スクリーンに映る映像)という映画の基本的な関係性を石井岳龍は破壊しようと試みる。ラストで明かされる箱男の正体、つまり箱男とは観客であるあなた(僕)の事。でもこれは正直序盤で分かり切っていて、覗き窓が完全にシネマスコープのサイズだったし、何度か映画を観る観客の姿が映る。

分かりきった正体を何故最後に明かすのか。あ、そっか。石井岳龍は途中で観客が気付くのを承知で箱男とは観客だと言ったんだ。厳密に言うと、箱男になれるのは「映画館」で映画を観る観客たちのことだ。スマホやパソコン、テレビで映画を見る人は箱男にはなれない。

映画館で映画を観なくてもよくなったこの時代、「見る」ことが多様化した今に、あえて石井岳龍は「映画」とは「映画館で映画を観る」ことなんだと言いたかったんだと思う。その上で、スクリーンという絶対に破られない境界線を破りたかったのかな。でも、それって自傷行為な気もするけど。

見ること、見られることの関係性、そして今の時代において映画を観ることとはなんなのか。実に石井岳龍なりに、パンクでアナーキーな個性で僕らに投げかけてきた作品だった。

僕はもちろん、映画を観る事とは映画館で映画を観る事だと声を上げる。僕も箱男だったのだ。書いていて気付いたけど、箱男は全然幸せそうじゃない。だから映画館で映画を観る人達は全員不幸せな人なのかもしれない。『エンパイアオブライト』で映写技師のおじさんが「映画館は居場所がない人が最後に来る場所」と言っていたのを思い出した。